2008年7月24日 (木)

一年たちました

あの日から、ちょうど一年。・・・今日は、夫の『入院記念日』。

昨年の7月24日、前庭神経炎の発作で倒れた夫は、救急車で運ばれ、そのまま三週間の入院を余儀なくされた。

それからの一年・・・・・・。

痩せてしまっていた夫の体に、少しづつ、筋肉(脂肪?)がつき始め、それとともに、気力、体力も戻ってきつつある。

しかし、軽減されてはきたものの、依然、後遺症とは縁がきれない状態だ。

めまい、ふらつき、頭痛など・・。長時間、CPを見たり本を読むことが辛く、車の運転も、長い距離はまだ自信がないと言う。疲れが溜まると、夫の体の中に黄信号が点滅し始めるのだろうか、しばしばソファに横になって休むようになった。

口にこそ出さないが、『いつまでこんな状態が続くんかァ』と悩み、鬱々としていたようである。

ある時、夫はネットで『前庭神経炎のコミュニティ』のサイトを見つけた。

掲示板には、患った(・・っている)人達自身の体験談、悩み、励まし・・などが、リアルにチャットで語られていた。程度の差はあれ、病んだ人達は、なんらかの後遺症に悩み、再発の不安を、それぞれに生々しく訴えていた。

『同病、相哀れむ』ではないけれど、『前庭神経炎』という病気の本当の辛さは、患った者にしか分かり得ないのかもしれない。

「自分だけが特別ではなかったんだぁ」。夫の不安はおおいに解消されたようである。後遺症と仲良くつきあおうという気持になったのだろう。

前庭神経炎』が、ただちに生死に関わる病気でないのは幸いだった。が、今まで“盲腸”以外で入院したことのない“元気者”の夫が入院したことは、私達には大事件であった。そして、『自分たちはもう若くないんだ』ということを思い知らされた。

“老いつつある自分達。いつ、何時、どこで、再び、緊急の状況に陥るかもしれん。その備えの“対策”も考えとかんといくまい”、と。

そこでまず、去年の秋、綜合警備保障の会社と契約をした。「これでちょっと安心じゃ」、夫は言った。昨年発作に襲われたのは、私の留守中のことであった。夫は何時間も、一人で横たわったまま苦しむしかすべがなかったのだ。その時の不安な気持ちがトラウマになっていたのかもしれない。

警備保障会社とラインをつなぐことは、まずは盗難防止の目的がメインではある。が、緊急時の連絡口としても、有効である。離れて暮らす子供達、病院との連携が可能になるのだ。夫と私、二人だけの生活。どちらか一人しか家に居ない時、何かが起きても困る。そういう時の、“ALSOKだのみ”だ。

さらに、夫も私も、家の中にいても携帯電話を離さぬよう習慣づけるようにした。われら熟年倦怠期夫婦なれば、お互いマイペース。家の内外で顔も合わさず過ごすことも多い。長時間、相手の気配すら感じず、ふと、「?」と心配になったときに、“ワンコール”するために。裏庭で農作業に熱中する夫を心配して私が発信した“安否確認コール”の回数は、数知れず。ちなみに、相手からは、未だゼロ。

そして、夫の病気をきっかけに、私の気持にも、ちょっとした変化があった。

認めたくないが、夫婦二人そろっての生活は、こうしている間にも、カウントダウンされているという事実。そのことを思うと、夫婦げんかを長引かせてもおられん気持になる。ケンケン、チクチクと悪態をついていたら、夫に長生きしてもらえんかも。

そんな“魂胆”で、私は、前よりは、夫に対してちょっと素直になった。

・・・・・一年後の来年の7月24日。やっぱり私は、夫の『入院記念日』に思いを馳せているだろう。「二年たちました。ずいぶん元気になりました」と言えるように、この一年を暮らしていきたいと思っている。

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一年たちました

あの日から、ちょうど一年。・・・今日は、夫の『入院記念日』。

昨年の7月24日、前庭神経炎の発作で倒れた夫は、救急車で運ばれ、そのまま三週間の入院を余儀なくされた。

それからの一年・・・・・・。

痩せてしまっていた夫の体に、少しづつ、筋肉(脂肪?)がつき始め、それとともに、気力、体力も戻ってきつつある。

しかし、軽減されてはきたものの、依然、後遺症とは縁がきれない状態だ。

めまい、ふらつき、頭痛など・・。長時間、CPを見たり本を読むことが辛く、車の運転も、長い距離はまだ自信がないと言う。疲れが溜まると、夫の体の中に黄信号が点滅し始めるのだろうか、しばしばソファに横になって休むようになった。

口にこそ出さないが、『いつまでこんな状態が続くんかァ』と悩み、鬱々としていたようである。

ある時、夫はネットで『前庭神経炎のコミュニティ』のサイトを見つけた。

掲示板には、患った(・・っている)人達自身の体験談、悩み、励まし・・などが、リアルにチャットで語られていた。程度の差はあれ、病んだ人達は、なんらかの後遺症に悩み、再発の不安を、それぞれに生々しく訴えていた。

『同病、相哀れむ』ではないけれど、『前庭神経炎』という病気の本当の辛さは、患った者にしか分かり得ないのかもしれない。

「自分だけが特別ではなかったんだぁ」。夫の不安はおおいに解消されたようである。後遺症と仲良くつきあおうという気持になったのだろう。

前庭神経炎』が、ただちに生死に関わる病気でないのは幸いだった。が、今まで“盲腸”以外で入院したことのない“元気者”の夫が入院したことは、私達には大事件であった。そして、『自分たちはもう若くないんだ』ということを思い知らされた。

“老いつつある自分達。いつ、何時、どこで、再び、緊急の状況に陥るかもしれん。その備えの“対策”も考えとかんといくまい”、と。

そこでまず、去年の秋、綜合警備保障の会社と契約をした。「これでちょっと安心じゃ」、夫は言った。昨年発作に襲われたのは、私の留守中のことであった。夫は何時間も、一人で横たわったまま苦しむしかすべがなかったのだ。その時の不安な気持ちがトラウマになっていたのかもしれない。

警備保障会社とラインをつなぐことは、まずは盗難防止の目的がメインではある。が、緊急時の連絡口としても、有効である。離れて暮らす子供達、病院との連携が可能になるのだ。夫と私、二人だけの生活。どちらか一人しか家に居ない時、何かが起きても困る。そういう時の、“ALSOKだのみ”だ。

さらに、夫も私も、家の中にいても携帯電話を離さぬよう習慣づけるようにした。われら熟年倦怠期夫婦なれば、お互いマイペース。家の内外で顔も合わさず過ごすことも多い。長時間、相手の気配すら感じず、ふと、「?」と心配になったときに、“ワンコール”するために。裏庭で農作業に熱中する夫を心配して私が発信した“安否確認コール”の回数は、数知れず。ちなみに、相手からは、未だゼロ。

そして、夫の病気をきっかけに、私の気持にも、ちょっとした変化があった。

認めたくないが、夫婦二人そろっての生活は、こうしている間にも、カウントダウンされているという事実。そのことを思うと、夫婦げんかを長引かせてもおられん気持になる。ケンケン、チクチクと悪態をついていたら、夫に長生きしてもらえんかも。

そんな“魂胆”で、私は、前よりは、夫に対してちょっと素直になった。

・・・・・一年後の来年の7月24日。やっぱり私は、夫の『入院記念日』に思いを馳せているだろう。「二年たちました。ずいぶん元気になりました」と言えるように、この一年を暮らしていきたいと思っている。

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2007年11月29日 (木)

あせる気持もあるけれど・・。

夫、4ヶ月ぶりの、大学病院耳鼻科での受診であった。

私の運転で何度か通った病院までの道中、今回初めて夫が運転した。8月の最初の受診の日、夫は、歩くのも危なっかしいほどの、全くの病人であった。その当時の不安な気持ちを思うと、よくぞここまで回復してくれたものだと、しみじみうれしかった。

夫曰く、「自覚症状ないから、大学病院受診も、今日が最後になるかも」・・・・・そうかな?・・・そうだといいんだけど。

案の定、検査の結果、まだ“眼振”がある、とのこと。

そして、医師は、診察室に入ってきた夫の様子を見ていて、「まだまだ、元には戻ってないようですね」と、言ったそうだ。

先生は、きっと、歩く姿勢を見ておられたのだろう。・・・・前屈みで、歩幅狭く歩く姿は、本来の夫の歩き方ではないもの。片足に重心をのせる時、夫自身も気付かぬまま、体全体でバランスをとっているのだろう。

結局、今回が最後の受診にならず。次回の予約は、3ヶ月後。

ちょっとへこむ気持もあったが、完治するのに半年はかかるだろうと、覚悟していたはず。あせらず、気長に、ゆっくりと。・・・・2月には、今日よりもっと良くなっているだろうから。

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2007年11月18日 (日)

夫、最近のようす

秋風が頬に冷たく感じ始めたこの頃。

この夏、前庭神経炎でダウンし入院した夫。退院してから、はや3ヶ月たった。最近なんとか、病気前の生活に戻ってきつつある。

・・・・さて、今日、洗濯物を取り入れようと二階の物干場に上がったところ、とんでもない場所に、夫の姿を見つけた。Kii

「あれれッ!」

裏庭の高い木の上、太い枝にのっかって。

茂った枝を切り落としているのだろうが、・・・・なんとも、危なっかしい。今月末には、植木屋さんが来てくれるというのに。じっとしておれんのかいな。

でも、まあ、こんなことできるまで、回復したってことか。

・・・・・夫の罹った“前庭神経炎”という病気は、完治するのに時間がかかり、長い場合は、半年、一年間も要するということをきいた。

現在の夫の状態はというと、まだ平衡感覚が完全にもどっていない。だから片足で立つことは無理だし、急にふり返ったりすると、ふらついて危ない。車の運転も、復活したものの、高速道を走るのは、まだ自信がないという。

“完治”ということがまったく病前の状態にもどることなら、夫はまだそうではないだろう。

先日、夫がつぶやいた。「今の状態が、“治った”ということかもしれん。これ以上はよくならんかも。」・・・・・結局、“ふらつき感”が後遺症としてのこることは、仕方ないと、本人は思っているらしい。

“行動する、休む、休んで、また行動する・・・・気分に応じてソファーでゴロリ。”そのくり返しが夫の今の生活パターンであり、“リハビリメニュー”でもあるのだ。

元来、けっこう働き者な夫。あとで疲れるのを分かっていながら、調子にのってついつい突っ走ってしまう。だから、そんなことにならないようにするのが、私の役目。・・・そこで、一言。「無理しないでよ。また倒れるよ~ッ」・・・・私は、けっこうこわい療法士さんになります。

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2007年9月20日 (木)

大学病院受診

夫の大学病院耳鼻科受診は、今日で3回目となった。病院の長い廊下を、受付へ向かって歩く夫の足どりは、ひと月前にくらべると、実にしっかりしてきた。前回来たときは杖をつきつき、危なっかしかったのにと、私も感慨あり。

さて、検査の結果は、軽度にはなっているが、まだ“眼振”がみられるとのこと。・・・でも、2種類処方されていた薬が、1種類に減った。しばらく経過観察ということで、11月29日の受診予約をして帰った。

最近の夫、めまいの自覚症状は感じないものの、急にふり返ったり方向転換したりした時にフラッとよろけたり、パソコンや小さい字を長い時間見続けることは苦痛であるという。・・・・そういったことを感じなくなったときが、“完治”ということになるのだろうか。

今日検査をしてくれたアシストの医師からは、「まあ、一年を目途に気長に治していきましょう」と、言われたという。「この前、主治医は長くて数ヶ月と言ったのに・・・」と、夫はちょっとへこみ気味。

「でも、気を落とさないで。」と言いたい。ゆっくりだけど前向きに進んでいるのは確かなんだから。次回11月の受診日には、きっと、自分で車を運転して来られるくらいに回復しているでしょう。

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2007年9月14日 (金)

続けていますよ・・・。

朝夕の暑さが和らいできたこの頃。そんな、ささやかな秋の気配にも助けられ、夫の体調も順調に回復してきている。

退院してひと月あまりが過ぎた。平衡感覚はまだ正常に復活してないものの、食欲も出てきたし、歩く姿も安定してきた。とくに、この二週間の“右かた上がり”の回復度はおどろきだ。

二男が夫に課したトレーニングの効果が、表れてきたのかもしれない・・・。

Benrikigu_009 8月末に帰省した二男が、病後体力が落ちて弱々しくなった父親を心配し、「筋力強化プログラム」なるものを作って、夫のインストラクターをかってでた。

体育会系の二男は、こういった運動のことになると、やけに詳しい。腹筋やスクワットなど、いくつかの筋トレやストレッチ。腰痛持ちの夫にも無理ないように、工夫されたメニューになっている。

そして、「俺が帰っても、毎日続けるように」と、ご丁寧に日付入りの表を印刷して、“宿題”に置いていった。(写真)

それから二週間、夫はまじめにノルマをこなし、表に回数を記入して、頑張って続けてきた次第。

そして、Piimn_001 「食欲がないから」と、お茶漬けばかり食べたがる夫を見かねて二男がプロティンを買ってきた。・・・・牛乳に溶かして、朝夕飲むこと。これが、夫に課されたもうひとつのノルマ。

たしかに“栄養は薬なり”。効果が表れて、脚の筋力もついてきたようだ。

・・・・・さて、東京に戻った二男から、その後メールが届いた。

「お父さん、その後運動を続けてますか?(中略)トレーニングは嘘をつかんからね。(中略)この山場を越えて元気になったら、お父さんにはバラ色の老後が待っているよ・・・・」

老いては子に従えということかな・・。夫と二人で笑ってしまった。

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2007年8月24日 (金)

“元気”をありがとう!

朝の家事を終えた10時半頃、玄関のチャイムが鳴った。

「こんちは~。お久しぶり~」。・・・聞き覚えのある元気な声は、Y一さんだった。T郎さんも一緒。二人は、今治市に住む、夫の母方の従兄弟たちだ。

去る数日前、松山に住む、別の従弟のK二さんがひょっこり夫を訪ねてきた。夫の病気・入院のことを知らせてなかったものだから、久しぶりに会った夫の、あまりにやつれていたのに驚いたようだった。

「Tちゃんが弱ってるから、行って話相手になってあげてよ!」との、K二さんからの知らせで、ふたりははるばる訪ねてきてくれたのだった。

・・・お昼ご飯をはさんで、夫と二人の従兄弟達との話は、ずいぶんはずんだようだった。

ともすれば悶々と、ひきこもりがちになりがちな、最近の夫にとって、兄弟同然の従兄弟たちの、明るい笑顔と忌憚のない会話は、何よりの“栄養剤”になっただろう。

ありがとう、みなさん。・・・「何よりの元気薬になりました~」と、見送った。

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2007年8月23日 (木)

久々の外出。

今日は、夫が大学病院耳鼻科で受診する日。病院のある隣の市まで、片道30分少しのドライブだ。もちろん私がアッシーちゃん。夫にとって、10日に退院して以来、初めての遠出となった。

検査、受診の結果、まだ「眼振」がみられるとか。そして、ダメージを受けているのは、右の前庭神経と分かった。まだまだ回復途上。夫の“ふらつき”もまだしばらくは治らないだろう。薬を処方してもらい、来月20日の予約をした。

会計を終えた後、病院の食堂で昼食をとった。まだまだ食欲が戻っていない夫であるが、よほど気分が良かったのか、「カツの卵とじ」ランチ(!)を注文した。退院以来、「胃が受け付けない」といって、肉類をいっさい受け付けなかった夫が、である。大丈夫かしら、と私のほうが心配した。夫はどうにか完食した。私は大いにおどろき、うれしかった。“元気の素は、食からだ~”なんて。(・・・が、案の定、夫は家へ帰ってすぐ、トイレへ駆け込んだ。・・・・やっぱり急には無理だったのだよ・・)

さて、せっかく外出したのだから、と、帰途中、携帯電話の店へ寄り道。

一昨年末に購入した夫と私の携帯電話だが、二台そろって、最近急速に電池の減りが速くなった。何かと不便で、いっそ買い替えようかと思ったりしていたもので・・・。

久々の外出写真・・・「どのタイプが良いかな?」とカタログを見る夫。

店のスタッフが電池の点検をしてくれた結果、「メーカーからの通達があり、無料で交換致します」とのこと。・・・何はともあれ、ラッキー~!二台とも、サービスで新しいバッテリーになった。買い替えは、もうしばらく、お預けとなった。

・・・・目下、家の中でリハビリに励んでいる夫である。メダカの世話、庭の植木、鉢植えへの水遣りなど、ゆっくりごそごそと動いて、感を取り戻しつつあるようだ。

久しぶりの外出は疲れたかもしれないが、そんな「頑張ったり、休んだり・・・」をくり返しくり返しつつ、そのうち元の元気な体になってくれればと、しみじみ思う。

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2007年8月10日 (金)

退院の日♪

夫が無事に退院を迎えることが出来た。先月24日に救急車で運ばれて以来の入院生活も、きょうで終わりだ。

「安静にして、疲れないこと。入院中から処方してもらっている薬を、続けて服用すること」。が夫に与えられた課題。そして、23日には再び、大学病院で受診する予定になっている。

何日間も、夫にすさまじいメマイを与え続けた「前庭神経炎」は、大脳につながって体の平衡感覚をつかさどる“前庭神経”がダメージを受けて発症する。夫は、回転性メマイは治まったものの、まだフラフラとして、まっすぐに歩けない。いわば“オールをなくしたボート”状態。水の上で行方定まらず浮いているような。

だが、人間の体はうまく出来ているものだ。ボートが、オールの替わりに帆やエンジンを使って進路を定めるように、人間の大脳は、見事に軌道修正をして、前庭に替わる代償機能を作り上げるというのだ。

日々の生活行動がすなわちリハビリとなって、徐々に、平衡感覚(前庭神経を使わず・・)を取り戻していくらしい。

だから、無理は禁物だが、安静に寝てばかりいては、復活への道は遠いということになる。

実年齢も体年齢もすっかり初老の夫なので、何ヶ月もかかるかもしれん・・・。

でも、ゆっくりじっくり復活の道のりを歩んで欲しい。完治めざして。

退院着替えもすませ、準備できました。・・・「親切な看護師さんが多かったなぁ~」なんて、感慨にふけっているんかしら

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2007年8月 8日 (水)

病中(?)閑あり

 夕方、自宅へ“外泊”(?)していた夫を病院へ送り届けて、帰途、実家に寄った。

「家へ帰っても、あんた一人なんじゃろうから、夕食いっしょにしよう・・」と、両親に誘われ、近くのベーカリーレストランへ出かけた。

たまたま今月の30日は、両親の60回目(!)の結婚記念日、らしい・・・・。ウエーターさんのお薦めにマンマのって、「結婚記念日特別フルコース」などと、ちょっと豪華に。

「夫は、今頃、質素な病院食を食べているだろうな・・・」。そんな思いが、ふと、私の頭をかすめたが、胃袋の思いは別のよう・・・。パクパク・・・。

病中(?)閑あり写真・・・冷製トマトスープのあとは、前菜の牛肉と野菜のクルミ入りサラダ。まだまだ、白身魚のムニエル、ハンバーグなどが続く。

・・・このたびの夫の入院では、両親にも心配をかけてしまった。とくに、夫が自宅でひとり苦しんで倒れていたのが、私が実家に手伝いに出かけていた間だったということが、父母の心労を、さらに重くしていたようだ。

母は、入院翌日に夫を病院に見舞ってくれたのだが、夫の手をにぎり、「○○さん、ごめんね~。・・わたしが替わってあげたい・・」と号泣した。老いた母の肩を抱きながら、私は、あらためて、“老父母のためにも、夫と二人、元気でいなければ”、と思ったものだ。

・・・・夫の入院期間は二週間を過ぎ、思いがけず長くなってしまったが、やっと杖の助けを借りて歩けるまでに回復した。夫の病状が軽快してきたとともに、父母の顔色もだんだん良くなってきたのが分かる。

退院の目途もなんとかつき、今日こうして、父母と、笑いながら食事をともにできたことが、私には、とてもうれしいことに思えた。

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