一年たちました
あの日から、ちょうど一年。・・・今日は、夫の『入院記念日』。
昨年の7月24日、前庭神経炎の発作で倒れた夫は、救急車で運ばれ、そのまま三週間の入院を余儀なくされた。
それからの一年・・・・・・。
痩せてしまっていた夫の体に、少しづつ、筋肉(脂肪?)がつき始め、それとともに、気力、体力も戻ってきつつある。
しかし、軽減されてはきたものの、依然、後遺症とは縁がきれない状態だ。
めまい、ふらつき、頭痛など・・。長時間、CPを見たり本を読むことが辛く、車の運転も、長い距離はまだ自信がないと言う。疲れが溜まると、夫の体の中に黄信号が点滅し始めるのだろうか、しばしばソファに横になって休むようになった。
口にこそ出さないが、『いつまでこんな状態が続くんかァ』と悩み、鬱々としていたようである。
ある時、夫はネットで『前庭神経炎のコミュニティ』のサイトを見つけた。
掲示板には、患った(・・っている)人達自身の体験談、悩み、励まし・・などが、リアルにチャットで語られていた。程度の差はあれ、病んだ人達は、なんらかの後遺症に悩み、再発の不安を、それぞれに生々しく訴えていた。
『同病、相哀れむ』ではないけれど、『前庭神経炎』という病気の本当の辛さは、患った者にしか分かり得ないのかもしれない。
「自分だけが特別ではなかったんだぁ」。夫の不安はおおいに解消されたようである。後遺症と仲良くつきあおうという気持になったのだろう。
『前庭神経炎』が、ただちに生死に関わる病気でないのは幸いだった。が、今まで“盲腸”以外で入院したことのない“元気者”の夫が入院したことは、私達には大事件であった。そして、『自分たちはもう若くないんだ』ということを思い知らされた。
“老いつつある自分達。いつ、何時、どこで、再び、緊急の状況に陥るかもしれん。その備えの“対策”も考えとかんといくまい”、と。
そこでまず、去年の秋、綜合警備保障の会社と契約をした。「これでちょっと安心じゃ」、夫は言った。昨年発作に襲われたのは、私の留守中のことであった。夫は何時間も、一人で横たわったまま苦しむしかすべがなかったのだ。その時の不安な気持ちがトラウマになっていたのかもしれない。
警備保障会社とラインをつなぐことは、まずは盗難防止の目的がメインではある。が、緊急時の連絡口としても、有効である。離れて暮らす子供達、病院との連携が可能になるのだ。夫と私、二人だけの生活。どちらか一人しか家に居ない時、何かが起きても困る。そういう時の、“ALSOKだのみ”だ。
さらに、夫も私も、家の中にいても携帯電話を離さぬよう習慣づけるようにした。われら熟年倦怠期夫婦なれば、お互いマイペース。家の内外で顔も合わさず過ごすことも多い。長時間、相手の気配すら感じず、ふと、「?」と心配になったときに、“ワンコール”するために。裏庭で農作業に熱中する夫を心配して私が発信した“安否確認コール”の回数は、数知れず。ちなみに、相手からは、未だゼロ。
そして、夫の病気をきっかけに、私の気持にも、ちょっとした変化があった。
認めたくないが、夫婦二人そろっての生活は、こうしている間にも、カウントダウンされているという事実。そのことを思うと、夫婦げんかを長引かせてもおられん気持になる。ケンケン、チクチクと悪態をついていたら、夫に長生きしてもらえんかも。
そんな“魂胆”で、私は、前よりは、夫に対してちょっと素直になった。
・・・・・一年後の来年の7月24日。やっぱり私は、夫の『入院記念日』に思いを馳せているだろう。「二年たちました。ずいぶん元気になりました」と言えるように、この一年を暮らしていきたいと思っている。




写真・・・「どのタイプが良いかな?」とカタログを見る夫。
写真・・・冷製トマトスープのあとは、前菜の牛肉と野菜のクルミ入りサラダ。まだまだ、白身魚のムニエル、ハンバーグなどが続く。

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