2007年9月 5日 (水)

『ふたたびの生』

生命科学者・柳澤桂子さんの、長編エッセイ。数年間の寝たきり生活を経て、奇跡的に、再び“動ける生活”を取り戻すまでの、生々しい記録である。

柳澤桂子さんのことは、7、8年ほど前、NHKのドキュメンタリー番組を見て知った。その頃はまだ、彼女はベッドで寝たきりの生活であった。

突然、体の自由を奪われ、痛みとしびれと闘いながらも、生命科学の専門家として、ベッドの上で本を著し、社会にメッセージを出し続けている彼女の生き様に、私は、強く心を打たれたことを憶えている。

そして、その何年か後、私は、彼女の元気な姿を、たまたまテレビの画面で見て驚いた。

彼女の全身を疼痛しびれで苦しめていたのが、中枢神経の代謝異常であることが判明し、対応の治療の結果、またたくまに回復したのだ。

医療のすすんだ現代であるのに、病名が分からず、具体的な治療さえできない30年間。その出口の見えないトンネルの中で、柳澤さんは、当然、死を考えた。病み続ける自分の辛さだけではなく、介護する家族のことも考え、科学者らしい冷静さで、と向き合っている。

彼女が真の病名に行き着き、その結果、元気な体を取り戻せたのは、忍耐ばかりではなく、彼女自身の、への飽くなき追求だと思う。「いったい、この痛みはどこから来るの?」という疑問を、なんとか解明したいという。

柳澤さんが、投薬の効果で痛みがとれた後、ベッドから起きあがり、再び歩く練習をするくだりは、読んでいて、痛々しくも愉快であり、胸がつまって泣けてきた・・・。

また、“あとがき”に、ご主人の嘉一郎氏が、長文を寄せている。介護した立場からの思いは、本文で書かれている桂子さんの思いと、表裏一体。それぞれの立場で苦悩しながらも、ご夫妻が心合わせて、長い年月を、いかに病気と立ち向かってこられたかをうかがい知ることができた。

平凡に日常の生活が送れる幸せと、こころを強くして生きることの大切さを、あらためて教えてくれた一冊でした。

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2007年6月14日 (木)

久々に・・『藤沢周平』

昨日、市立図書館で藤沢周平を、二冊、借りてきた。『くらい海』(くらの漢字は、“さんずいに“冥”)と、『用心棒日月抄』で、いずれも、短編集だ。

『くらい海』は、埼玉福祉会発行の“大活字本”版を借りてみた。ひとまわり大きな活字で印刷されており、ちょうど小学低学年の児童書の様である。図書館の一番端列の棚の一角に、書籍数は多くないが、“大活字本”のコーナーがあるのは前から知っていた。借りるのは初めてだ。最近老眼がすすみ、目が疲れやすい私なので、試しに借りてみた。

この『くらい海』には、表題のくらい海』と、『囮』(おとり)の二編が収録されている。実は元々は、『暗殺の年輪』という短編集が底本で、その中に収められている4編を、頁数の都合で二編づつ二部に分けたうちの一冊である。

『くらい海』は、“富嶽三十六景”で有名な葛飾北斎の晩年の話である。北斎は、藤沢の他の作品にも登場している記憶があるが、この物語では、高齢になり仕事にゆきづまっていく彼の、焦り、嫉妬、達観・・・など内面が描かれている。

もう一編の『囮』は、版木師をしながら目明かしの下っ引をしている男が主人公。一種の捕り物小説ともいえるが、いかにも藤沢周平らしく、人物・情景描写が緻密で深い。吸い込まれるように物語の中に引き込まれてしまった。大活字で行数も少なく、1頁を瞬く間に読み進むので、頁をめくるのがもどかしく感じるほどに。

これらの二作は、ともに藤沢周平の作家デビュー初期の作品。それぞれ第65回、第66回の直木賞候補になった。

そして、目下、二冊目の『用心棒日月抄』を読んでいるところだ。時代は元禄、故あって人を切り、脱藩し江戸へ上った浪人“青江又八郎”の話。生活の糧のため転々と用心棒稼業をしながら、様々な事件、人情・・・、に遭遇する。そして、知らず知らず浅野と吉良(例の忠臣蔵・・)の争いにかかわる。(・・らしい。)『この用心棒・・・』は以後、続編、続々編とシリーズででているものだ。

ただいま、10編のうち、『犬を飼う女』『娘が消えた』の二編を読み終えたばかり。暗い陰を漂わせながらも朴訥で、尚かつ、剣においては凄腕という、主人公のキャラクターに惹かれ始めている。・・・・「映像化するなら、又八郎にはだれをキャスティングするかなぁ」などと、勝手にミーハーしながら読んでいるところだ。

私は、ときどき、たまらなく藤沢周平を読みたくなるときがある。・・・・・現実とかけはなれた時代劇の世界に没入することは楽しい。心をリセットすることができる。そして、読み終えたあと、ポト~ンッと、ひとしづくの水滴をおとされたように、私の心が潤ってくるのを感じる。こんな気持になりたくて、藤沢周平の本を読みたくなるのかしらと思う。

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2005年10月29日 (土)

「時雨みち」藤澤周平・著

昭和54年~56年にかけて発表された短編集。

藤澤周平の筆致は、リズムがあって歯切れよいところが好きだ。

贅肉のない簡素な文ながら、

江戸の庶民の心情の機微や、くらしの様子が、

細やかで、かつ、深く描写されている。

読み進んでいくうちに、私の頭の中には

その小説の舞台ができあがり、登場人物がうごいていく。

町並みや、町娘が着ている着物の柄までも思い浮かぶほど。

テレビや映画の時代劇から得た知識から想像するんだから

貧困なイメージにすぎなく、自分でもおかしくて、笑ってしまう。

でも、それほど入り込んでしまうところが、藤澤周平の魅力なのかな。

この短編集の中では「飛べ佐五郎」が好きだ。

仇持ちの佐五郎がおびえて暮らすようすを

私はどきどき、はらはらしながら読み進んでいく。

そして最後のどんでん返し。

藤澤の作品は、主人公が武士、商人、という男性であっても、

必ず女性に大切な役割をもたせている。

この短編集の中にでてくる女達は、

忍耐強く、情深く、逆境でまっすぐに生きている。

しかし、どの女も

心の奥には人生を達観するような「醒めた眼」を持っている。

私はその「眼」を感じたくて、藤澤の本を読みたいのだろう。

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