梅雨空を気にしながら、実家の両親を誘って隣県までドライブをした。四人で遠出するのは、5、6年振りになるだろうか。
好奇心旺盛な両親であったのに、この最近、外出も少なくなった。高齢のため、体調も“日替わり”といった調子である。・・・とくに母は、脚が不自由になったうえ頻尿で、トイレ問題がネックになっているようである。
たまたま夫に高松での所用ができたので、この機に父母にドライブを誘ってみた。松山・高松道ならば、パーキングエリアの設備も充実してるし、夫の運転ならば、2人の都合で自由にトイレ停車できる。
目的地は、高松その近辺・・・ということでとくにこだわらず。観光は二の次。とにかく2人が、外の、目新しい景色を楽しみ、気持をリフレッシュさせてくれればいいと思った。
高松到着後、夫の所用をひとまず片づけ、栗林公園へ。母は事務所で借りた車いすに乗り、父が押して、車いすコースを回った。
栗林公園は、江戸初期の回遊式大名庭園として有名だ。ちょうど花菖蒲の時期が終わったばかりだったが、手入れの行き届いた回路を、森林浴を浴び浴び、ゆっくり巡った。年輪を重ねた、さまざまに形の美しい松は、重厚で見ごたえがあった。
栗林公園を出た頃に降り始めた雨も、屋島に近づいた頃には、本降りになっていた。
広くきれいに舗装された屋島ドライブウエイ(有料)を上っていった。私は子どもの頃、父に連れられてこの屋島に来たことがある。こんな快適なドライブウエイのなかった当時は、どんな方法で、頂上までたどり着いたのだったっけ。・・・半世紀(!)も前のことである。
頂上の駐車場に着いたものの、この先の観光は周遊歩道を行かねばならない。両親に歩きは無理。加えて、車外は大雨で、景色の眺望も期待できない。「屋島に上っただけで、満足よ~」の母の言葉で、そのままUターン下山。
さて、お預けになっていた昼食に、やっとありつけた。
上り口の脇道にある、うどんの「藁屋」(わらや)さん。
ざるうどんと、てんぷら盛り合わせを注文。
本場の讃岐うどんをいただく。太~く、コシがあるうどん。(年寄りにはもう少し軟らかいほうがよかったかな?)ボリューム満点の天ぷらもお腹に入れて、4人とも元気モリモリ。店外に出ると空は明るく、天気が回復していた。
高松インターから坂出、瀬戸中央自動車道にのり、与島にむかう。・・・ヤシマからヨシマへなんて、語呂合わせのような。
只今瀬戸大橋走行中。この自動車道の下を、列車(JR瀬戸大橋線)の線路が通っている。
与島は、四国と本州をつなぐ、この瀬戸大橋(瀬戸中央自動車道海峡部)の中央に位置している。瀬戸内海を見渡せる絶好のビューポイントで有名。
この、何重ものクルクル回旋道を走って、駐車場のある与島プラザにおりてきた。(左)
駐車場から仰ぎ見た瀬戸大橋。
(右下)
すっかり天気は回復。澄み渡った空の青さと白い雲をバックに、瀬戸大橋が美しいラインをみせている。
両親に美しい眺望を、と思っていたが、展望台へ上るには階段しかなかった。2人には下の休憩所のベンチで待ってもらっていた。
残念ではあったが、2人が「海からの涼しい風が心地よかった」と言ってくれたのが、せめてものなぐさめであった。
展望台からの眺望・・・。
丸亀塩飽諸島の、本島、牛島などが見える。
静かな瀬戸内海・・・。雨上がりのためモヤがかかっていたが、よりいっそう、島々の影が、幻想的に、浮かぶように見えた。
実は、父と母は、瀬戸大橋が出来て間もない頃、15、6年前だろうか、一度、この与島に来たことがあったらしい。
その当時には、この与島プラザはできてなかった。2人でいろいろ思い出話をしていたようであったが、その時土産を買ったという“大きな売店”に行ってみたいという。「それでは」と、橋に上がる前に、下のオアシスに下りていってみた。
その、昔からの「フイッシャーマンズ・ワーフ」は、店の規模も大きく、多くの観光客で賑わっていた。干物、海産物などがたくさん販売され、店内には磯の香りが満ちていた。
脅威(!)の階段にむかって、ひるまず突き進む(?)父と母。その横にスロープもあるよ~。
その頃は、活魚や一夜干しまで売られ、もっと賑わっていたらしい。さて、今日は、人気の商品、めざし、ままかりの酢ものなど新鮮な海の幸を、お土産に買った。
・・・朝9時に実家を出て、松山に戻ったのが夜の9時。ちょうど半日間のドライブであった。夫の車の走行距離は400㎞を示していた。
ゆっくり、気ままな、ドライブ。名所旧跡の観光をじっくり満喫することもできない、こんな中途半端な“窓から観光”ではあったが、それでも、父も母も喜んでくれたようだ。
「ああ~。冥土のいい思い出が出来た・・・」「楽しかった~。もう、『死にたい』なんか言わまい・・・」。そんな、ちょっとギクッとするような言葉だが、2人はうれしそうに言ってくれた。
“ただいっしょに、ちょっと遠出のドライブをしただけなのに、こんなに感謝してくれるなんて・・・”と、ふたりの意外な喜びように、私の胸がちくっと痛んだ。
高齢になり、気持も体も弱ってきた父母である。・・私は娘としていつも2人のことを気にかけているつもりだった。でも、はたして、彼らの心の奥底にある“老いた不安”を、どれだけ理解できていたのだろうか。・・・ふと思った。
父母が日頃よく言う「体力に自信ないけん・・」という言葉。その言葉の裏側には「・・・一緒に出かけたら世話がかかるし、あんたらに迷惑かかるけん・・・」という遠慮の思いがあったにちがいない。
これからは2人の背中を、もっと強く押すようにして、どんどん、外の景色にふれさせてあげよう。・・・・2人が明るい気持になってくれることこそが、私の元気の素。今後に私を待ちかまえている現実、“老・老介護”にとっても、おおきな励みになるんじゃないか、と思ったりした。
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