2008年6月29日 (日)

『三輪田米山展』を見る。

小雨の中、愛媛県立美術館の特別展、『没後100年、三輪田米山の世界』に出かけた。

美術館所蔵の、碧梧桐や村上三島など郷土ゆかりの書家の作品20点あまりが展示されており、そのうち米山のものは9点。三幅一対の大作(代表作でもある)、『福』『禄』『寿』もふくまれ、軸物がほとんどであった。

書にも書家にも詳しくない私だが、『三輪田米山』は、今まで、その作品展に何度も足を運んだことがある書家であった。

身近に感じる書家でもある。

彼が地元松山の人であるということの他に、彼の字が、他の書家のものに比べて、いささか個性的という印象があったからだ。素人の私がみても、彼の書風は自由体にみえる。勢いがあり力強く、型にはまらず動きがあるというか。字の大きさも違っていたり、行が乱れていたり、たまに墨の雫が落ちた跡もあったり。

不遜にも「いったい上手なんか、雑なんか、分からん字やわ~」などと、思ったものだ。“書は、その人と形(なり)を表す”といわれるが、お酒が好きで、書を請われては、酔ってフラフラしながら筆をとることが常であったという米山。その書から滲み出る“人間・三輪田米山さん”の磊落さも、私に親しみを感じさせるのだろうか。

そしてまた、個人的な“御縁”もある。というのも、夫の同僚に、Mさんという米山の曾孫にあたる方がいたのだ。御本人が書をたしなまれるのかは不明だが、米山同様、お酒が強い方であった。我が家にも来られて、夫と、米山の掛け軸を前に談笑したこともある。が、さすが“DNA”。私は米山をセピア色の写真でしか知らないが、かの曽祖父殿を彷彿とさせられる風貌の方であったと記憶する。

去る6月15日のこと、NHKの『新日曜美術館』の特集で三輪田米山が取り上げられたのには、正直驚いた。代々続く神社の神官を継ぎ、生涯を地元で過ごした米山は、郷土(ローカル)の書家だと、私は勝手に認識していたからだ。

全国ネットで取り上げられたことが、正直うれしく、なぜか誇らしい気持になった。

ゲストの小池邦夫氏は松山出身。米山と同郷の人である。小池氏は、「若い頃、人々の生活の中に溶け込んだ“米山の書”に衝撃を受けたことが、“絵手紙”の考案に結びついた」といういきさつを話していた。

『米山の書は・・・・酔うほどに文字は横広がりになり、篇(へん)と旁(つくり)の間に大きな透き間が生じる。この透き間に人の心と、さわやかな風が吹き、米山の書に引きつけられていく。・・・・』

さすが、専門家の言葉。米山の書の魅力を、上手く表現するものだと感じ入った。

・・・・・・さて、広々とした美術館の展示室。私はその真ん中あたりに立って、離れた場所から、米山の掛け軸を眺めることにした。

そして、文字を判読することはせず、ただただ、見入った。

黒い墨が、躍るように、白い半紙の上で跳ねて、一枚の墨絵のようだった。

『新日曜美術館』で聞いたような観賞は、私には到底できなかったが、それでも、米山の掛け軸は、私の気持を心地よいものにしてくれた。

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2007年6月22日 (金)

『愛媛・感動の美術家たち展』へ

先だっての愛媛新聞で紹介されていた「河崎蘭香」に興味を持ち、作品展が開かれている「セキ美術館」へ出かけた。Seki_001

「愛媛・感動の美術家たち展」と銘打った記念企画の第2期展で、6月13日から開かれている今回は、「大正から戦前の昭和」。“激動の時代 美を求めた画家たち”という副題がついている。

3つに分かれたテーマのひとつとして、河崎蘭香の作品が展示されていた。

愛媛・八幡浜市出身の女流画家、河崎蘭香は、明治末期から大正中期にかけて活躍した女流画家である。36才で夭折するまでの短い期間ではあったが、多くの作品を世に出している。そして、地元愛媛でも、これほど多くの作品が公開されるのは、今回が初めてだということだ。

美人画・画家として、当時は上村松園をしのぐ実力で、高い評価を得ていたという。柔らかくj繊細な色彩と、緻密な筆はこびで描かれた女性画は、上品で美しい。絵画に詳しくない私をも惹きつける何かがあった。日本人なら誰もが時代を超えて感じる、“なつかしい美しさ”といえる何かだろうか。Seki_002

美術館で発行している目録を購入。展示された作品の写真、作者の解説なども載っているので、あとあと楽しめる。

画家は、作品制作に自らの魂を打ち込むという。・・・・蘭香は、その細い絵筆の先で、自分自身の心のすべてを、どのように絵の中に描いていったのだろうか・・・。

明治末期から大正という時代に、彼女は、四国の片田舎から単身上京し、画家として自立し、しかも、結婚を許されぬ相手との一途な愛を貫いた。ひとりの女性として、かくも強くで情熱的で、新しい生き様をおくっていたようだ。

絵画のすばらしさとともに、一人の女性としての生き方をも、みせてもらった気がする。・・・・そんな感動の余韻を十分あじわいながら、私は美術館をあとにした。

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2007年5月21日 (月)

『伊丹十三記念館』

国道33号線の脇に、新しく、真っ黒い、ユニークな建物がみえた。『伊丹十三記念館』だ。

Tansu_itami_rakkyo_001 開館日の5月15日は、伊丹十三の誕生日であったらしい。奥さんの宮本信子さんも東京からかけつけ、開館のセレモニーが行われた。私は、ちょうど実家へ行く途中に車で通りかかかり、その光景をみた。人も多く集まり、盛大な式のようだった。

伊丹十三は、父親の万作(映画監督)の死後、中学時代から高校卒業までを、父のふるさと、この松山ですごした。生前の十三の、もともとの希望は、父・万作のための記念館を建設することであった。が、早世したため叶わず、未亡人・信子さんや地元後援者の尽力で、本人の記念館に生まれ変わった。伊丹十三は、天国で、例の眉間のしわをよせた特長のある笑顔で、はにかんでいるかも・・。

死後10年たったというが、伊丹十三が蘇ってきそうな、いえ、亡くなったと思えないほど、彼の生気をいっぱい感じる記念館だ。とにかく、展示品、資料がたくさんあり、そのどれにも伊丹自身の生き様を感じる。遺族が遺品を大切に保管して古びてないこともある。また、彼自身が出演したテレビの映像が何カ所かで放映されていて、なお生々しく感じられたのかもしれない。

彼の名前「十三」にちなんで、常設展示室は13のコーナーから成っていた。素の池内岳彦(本名)・俳優・商業デザイナー・作家・・・・・映画監督まで。じつに多才多能な人であったことがあらためてわかる。生きていれば、74才。今の彼なら、何を思い、何をするか、見てみたいものだと思った。

Tansu_itami_rakkyo_002 企画展示室は、その時々でテーマが変わる。この日は、ちょうど映画『お葬式』の祭壇のセットが再現されていた。“ITAMI”とネームの入ったディレクターチェア、台本もならび、撮影現場そのままに。

(写真左)・・・出口近くにポスター(壁一面あって大きい)が立てられている。ここは、唯一、撮影を許された場所。ポスターの絵の下部にならんだ人間の顔はくりぬき式になっていて、後から顔を出して写真撮影できるようになっている。

まわりの見学者、わたしも含め、顔出しして記念写真を撮る人はいなかった。みんなの視線をあびるのが恥ずかしいし、それに、『お葬式』とは、ちょっと縁起悪いかな、な~んて。

宮本信子さんは、「隅々まで伊丹十三が感じられる、あたたかくて、気さくで、見ごたえのある」ことをコンセプトに、この記念館を造ったという。

伊丹十三を愛し、その個性を知り尽くした、愛妻・宮本信子さんなればこそプロデュースできた、“愛に満ちた記念館”、という思いがした。

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2007年5月18日 (金)

『坂の上の雲ミュージアム』へ。

4月28日に開館したばかりの『坂の上の雲ミュージアム』に出かけた。

繁華街を少し横道に入り、城山のふところへと続いた坂の、上り口にある。安藤忠雄・設計による近代的な銀灰色の建物は、深い緑の木々を背景に、おだやかな陽の反射を受けていた。Tue_yamori_011_1

『坂の上・・』の施設名は、司馬遼太郎さんの長編小説からつけられた。この小説には、正岡子規、秋山好古・真之兄弟、この松山出身の三人の若者が、物語の大きな軸として登場している。

私は、この「坂の上の雲」を、平成11年、産経新聞が再連載をしたとき読んだ。週に一回、新聞の一面づつ、長い期間をかけて読むことができた。そのおかげで、あの難解な小説を最後まで読み通せたのだろうと思う。

Tue_yamori_009_3 松山で生まれ育った正岡子規、秋山好古・真之兄弟が残した、生き様。彼らが、すばらしい能力と夢をもちながらも、時代の流れのなかで自己をおさえて生きるしかなかったことに、胸がいたんだ。

このミュージアムでは、彼らが生きた、“明治”という時代にスポットがあてられ、見る者は歴史の流れに思いがゆく。

明治時代の資料・・・風俗、風習、文化、生活風景にいたるまで・・・が多く集められ、思わず知らず、レトロの世界にタイムスリップする。とくに、私のように松山に生まれ育った者にとっては、街の変遷が興味深かった。

Tue_yamori_010_1 「・・・このミュージアムの基盤となる司馬遼太郎の作品は、日本における近代国家の形成を大きな時代の中で描いたものだ。本ミュージアムにおいては、司馬作品に耳をかたむけると同時に、この場につどう人々が時の流れについての再考を通じて、未来にむけて果敢にすすむ思索を深める道がひらけてくるだろう。」(パンフレットより)

明治はまったく遠くになりつつある。・・・・私達、団塊の世代にとっては、祖父祖母が生きた時代としてまだ馴染みもあるが、もはや歴史の通過点になりつつある。だが、明治時代は、好くも悪くも、日本の歴史の中で、一大エポックとなっていることを、私は再認識した。

このミュージアムをひとまわりしたあとに胸に残ったもの、感じたものを、忘れないようにしようと思った。

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2006年3月14日 (火)

「ダリの宇宙とシュルレアリスムの巨匠展」

今日は朝から寒~い。昼前には季節はずれの粉雪まで舞った。この寒い中を、「花より団子」「芸術よりグルメ」(?)のこの私が美術鑑賞!というので、お天気サンがびっくりしたのか・・。

県美術館で開催中の「ダリの宇宙とシュルレアリスムの巨匠展」。日本国内に所蔵されている、ダリをはじめ14人のシュルレアリストの代表作が集まった。絵画、版画、彫刻など、計190点。これだけの作品数が地方の美術館に揃うことはめずらしいとか。

「シュルレアリスム」(超現実主義)の作品は、“作家の、純粋な感性をオートマティック(自由にあるがまま)に表現されたもの”という。だから特定の技法もなく、独創的。因って、観るものには不可解(!)・・・・なのか。

作品の脇に掲げられた説明文に助けられながらの鑑賞。それでも、なかなか難しい・・・。自分の持つ既成の概念に当てはめて形にとらわれて見たのでは、ますます理解できない。「作品は作者のイメージ、インスピレーション、あるいは吐露・・・」と解釈し、感覚のアンテナのみを一本たてて、気軽に見た方がベターかも。(ついつい常識的に見てしまうけど)

dari_004 (←)今回の作品展のポスターにも使われているダリの代表作「ヴィーナスの夢」。砂漠、とろけてゆがんだ時計、燃える鬣(たてがみ)をなびかせる麒麟・・・そしてヴィーナスも。対象がどんな意味をもつか定かでないけど、実物はけっこう大作で迫力ある。深い色合いと、細部までの緻密な描写に惹かれる。インパクトのある幻想的な作品だ。

右下の写真。これもダリの作品、「ダンス」。あたかも金属細工の人形と化した男女が、身をよじらせながら、長い手足をからませ、組み合い、画面の左右ワイドに引っ張り合って描かれている。副題には“ロックンロールの七つの芸術”とある。大戦後生まれた新しい音楽、“ロック”を、ダリはこういうイメージで受け止めていたのか。パワー、パッション、陶酔、そして光明・・・が、この作品を見た時私が感じた印象。一番、こころに残った作品だ。dari_003

「実物を見て、絵の“肌合い感”をじっくり見てほしい。人間の純粋な部分を描いたシュルレアリストの作品は、鑑賞者側が純粋な気持ちで見ていると、いろいろなものが見えてくる。・・・・」とは、「シュル・・・」専門研究家の言葉。

なるほど、実物の作品を目のあたりにして、作者がいかに創作技法に工夫しているか、その痕跡をみることはできた。絵の具を何度もくり返し塗り、紙や金属などにこすりつけて作った表面、貝の中にインキをいれて転がしたという撥ね跡、黒い点と思って顔を近づけたら実は無数の蟻だったという緻密な描写・・・などなど。どれも作者のメッセージ。

今まで敬遠していた「シュルレアリスム」だが、少~しだけ輪郭が見えてきたかしら。でも、見終わった感想はやっぱり「難しいね~」の言葉。私の見方がまだまだ“不純”なのか、いえ、そもそも感性が乏しいのか・・・。(^_^;)

それでも、ひとまわり作品を見終わった後は、すがすがしい気持。出口の横の“記念グッズ販売”のコーナーへ。dari_001 ダリのロゴをプリントしたクリアファイル(右)と、ピカソ(なぜか)のミニ便せんを購入。ウヒョウヒョ。いつも最後はこんなふうに自己満足しているミーハーな私ですのだ~。

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