『三輪田米山展』を見る。
小雨の中、愛媛県立美術館の特別展、『没後100年、三輪田米山の世界』に出かけた。
美術館所蔵の、碧梧桐や村上三島など郷土ゆかりの書家の作品20点あまりが展示されており、そのうち米山のものは9点。三幅一対の大作(代表作でもある)、『福』『禄』『寿』もふくまれ、軸物がほとんどであった。
書にも書家にも詳しくない私だが、『三輪田米山』は、今まで、その作品展に何度も足を運んだことがある書家であった。
身近に感じる書家でもある。
彼が地元松山の人であるということの他に、彼の字が、他の書家のものに比べて、いささか個性的という印象があったからだ。素人の私がみても、彼の書風は自由体にみえる。勢いがあり力強く、型にはまらず動きがあるというか。字の大きさも違っていたり、行が乱れていたり、たまに墨の雫が落ちた跡もあったり。
不遜にも「いったい上手なんか、雑なんか、分からん字やわ~」などと、思ったものだ。“書は、その人と形(なり)を表す”といわれるが、お酒が好きで、書を請われては、酔ってフラフラしながら筆をとることが常であったという米山。その書から滲み出る“人間・三輪田米山さん”の磊落さも、私に親しみを感じさせるのだろうか。
そしてまた、個人的な“御縁”もある。というのも、夫の同僚に、Mさんという米山の曾孫にあたる方がいたのだ。御本人が書をたしなまれるのかは不明だが、米山同様、お酒が強い方であった。我が家にも来られて、夫と、米山の掛け軸を前に談笑したこともある。が、さすが“DNA”。私は米山をセピア色の写真でしか知らないが、かの曽祖父殿を彷彿とさせられる風貌の方であったと記憶する。
去る6月15日のこと、NHKの『新日曜美術館』の特集で三輪田米山が取り上げられたのには、正直驚いた。代々続く神社の神官を継ぎ、生涯を地元で過ごした米山は、郷土(ローカル)の書家だと、私は勝手に認識していたからだ。
全国ネットで取り上げられたことが、正直うれしく、なぜか誇らしい気持になった。
ゲストの小池邦夫氏は松山出身。米山と同郷の人である。小池氏は、「若い頃、人々の生活の中に溶け込んだ“米山の書”に衝撃を受けたことが、“絵手紙”の考案に結びついた」といういきさつを話していた。
『米山の書は・・・・酔うほどに文字は横広がりになり、篇(へん)と旁(つくり)の間に大きな透き間が生じる。この透き間に人の心と、さわやかな風が吹き、米山の書に引きつけられていく。・・・・』
さすが、専門家の言葉。米山の書の魅力を、上手く表現するものだと感じ入った。
・・・・・・さて、広々とした美術館の展示室。私はその真ん中あたりに立って、離れた場所から、米山の掛け軸を眺めることにした。
そして、文字を判読することはせず、ただただ、見入った。
黒い墨が、躍るように、白い半紙の上で跳ねて、一枚の墨絵のようだった。
『新日曜美術館』で聞いたような観賞は、私には到底できなかったが、それでも、米山の掛け軸は、私の気持を心地よいものにしてくれた。










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