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2008年7月31日 (木)

今治~松山

“帰省している従兄弟たちとゆっくり時間をすごしたい~”ということは、私達、とくに夫にとって、この夏一番の願いであった。

そして、それが実現できた。

28日の法事を終え、ほっとしたところで、

今日、今治から列車に乗って、4人の従兄妹たちが松山に出てきてくれた。今治在住の従妹の先導で、神奈川、埼玉の関東組たち。

まず、『坂の上の雲』のファンだという従兄の希望もあって、『子規記念博物館』へ。

Houji_004 私達夫婦を含めて、みんなリピーーターであったが、各自言うには「いつも“駆け足観覧”であった」とか。時間の制約があったり、途中で疲れてギブアップしたりして。

今日は、気合いを入れて、3時間ちかくかけて、ビデオももらさず、ゆっくりと。おかげで充実した時間をすごせた。ただ、資料を見て得た知識が、私の脳にインプットされたかどうかは疑わしいが・・・。

その後、道後をひとまわり。和食レストランで昼食を済ませ、我が家へ。なにせ、熟年世代の私達だ。暑さの中の行動はつらい。休憩が必要ナリ。

食べて、しゃべって。日の陰るのを待ちかね、私達がいそいそ出かけたのは、郊外のショッピングモール。3ヶ月前にオープンした、このショッピングモールは中四国最大の規模だとか。

話しのタネにしてね、とか、みやげ話になるよ、とか言ってみんなを誘ったのだが。はてさて、都会から来た従兄妹達もノリが良く、けっこう楽しんでくれたようであった。

夕食を終えてJR松山駅へ。朝8時30分から、ちょうど12時間。あっという間の一日であった。

・・・・昨年の夏、今頃、夫は病院のベッドで点滴の管につながれていた。従兄弟たちも心配して訪ねてくれたが、言葉をかわすことも叶わない状況であった。

“失った経験で知る、健康の大切さ、素晴らしさ”。

気の置けない従兄妹たちと過ごした今日の一日は、夫にとって、きっと元気の源になったであろう。

そして、夫の楽しそうな笑顔をみられることが、自分にとって、こんなにうれしいことだと、一年前の私なら、気付かなかったかもしれない。

従兄妹のみなさん、ありがとう・・・。

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2008年7月28日 (月)

法事の日

今日は、夫の母方の出里、今治での“法事”の日。従兄弟達を中心に、総勢17人が、この日のために集まった。

曾祖父の百回忌

曾祖父T太郎は、江戸の末期から明治の後半に生きた人。村がしばしばの水飢饉に陥った時は、庄屋として村のために尽力した。また、ローカルの民俗学者としても、郷土を歩き調べ、自筆でしたためた貴重な風土書を残した。

家を継ぎ、今日の法事を司ったY従兄は、たまたま郷土の“史談会”の会員でもあるのだが、地元の史書を調べるうちに、曾祖父に関する資料が多々あるのを知った。

そして、今年の7月28日がちょうど没後100年に当たることもあって、親戚に声をかけ、御先祖様の供養を思い立ったという。

仏事のあと、酒宴の席になってからY従兄は「先にゆく者は導き、あとに続く者は想う」と、なんどもくり返して、皆に向かって言った。

私にはいまいち理解できなかったものの、“御先祖さまがいるからこそ、われわれは存在し得ている。子孫として、つながりを大事にしよう。法事とは、亡き人を偲ぶ仏事であるが、こうして何年に一度、縁者が合して集まり、お互いの和を繋ぐための機会にもしよう”ということを言いたかったのか。

Y従兄からの法事の案内は、T太郎曾祖父のDNAを受け継いだ血縁の者のみならず、私のような、その連れ合いにもあった。「にぎやかにやりましょうよ」と。今日の法事を、打ち解けた『親睦の集まり』にしたいという希望があったのだろう。

Houji_2 さて、玄関前で記念写真。

一人っ子の夫にとって、従兄弟、従姉妹たちは兄妹同然。

私も、みんなとは、30数年来のおつきあいになる。

それにしても、それぞれ、“白くなったり、薄くなったり”(!)。月日の流れとは、正直なもの

朝の11時にお寺さんの読経で始まった法事は、その後、夏の夕日の落ちた夜まで、お喋りの花の咲く場に変わった。

今日のような、何重もの年輪を重ねた、年代物の法事というのは、悲しみにくれることもなく、なかなかいいものではある。

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2008年7月24日 (木)

一年たちました

あの日から、ちょうど一年。・・・今日は、夫の『入院記念日』。

昨年の7月24日、前庭神経炎の発作で倒れた夫は、救急車で運ばれ、そのまま三週間の入院を余儀なくされた。

それからの一年・・・・・・。

痩せてしまっていた夫の体に、少しづつ、筋肉(脂肪?)がつき始め、それとともに、気力、体力も戻ってきつつある。

しかし、軽減されてはきたものの、依然、後遺症とは縁がきれない状態だ。

めまい、ふらつき、頭痛など・・。長時間、CPを見たり本を読むことが辛く、車の運転も、長い距離はまだ自信がないと言う。疲れが溜まると、夫の体の中に黄信号が点滅し始めるのだろうか、しばしばソファに横になって休むようになった。

口にこそ出さないが、『いつまでこんな状態が続くんかァ』と悩み、鬱々としていたようである。

ある時、夫はネットで『前庭神経炎のコミュニティ』のサイトを見つけた。

掲示板には、患った(・・っている)人達自身の体験談、悩み、励まし・・などが、リアルにチャットで語られていた。程度の差はあれ、病んだ人達は、なんらかの後遺症に悩み、再発の不安を、それぞれに生々しく訴えていた。

『同病、相哀れむ』ではないけれど、『前庭神経炎』という病気の本当の辛さは、患った者にしか分かり得ないのかもしれない。

「自分だけが特別ではなかったんだぁ」。夫の不安はおおいに解消されたようである。後遺症と仲良くつきあおうという気持になったのだろう。

前庭神経炎』が、ただちに生死に関わる病気でないのは幸いだった。が、今まで“盲腸”以外で入院したことのない“元気者”の夫が入院したことは、私達には大事件であった。そして、『自分たちはもう若くないんだ』ということを思い知らされた。

“老いつつある自分達。いつ、何時、どこで、再び、緊急の状況に陥るかもしれん。その備えの“対策”も考えとかんといくまい”、と。

そこでまず、去年の秋、綜合警備保障の会社と契約をした。「これでちょっと安心じゃ」、夫は言った。昨年発作に襲われたのは、私の留守中のことであった。夫は何時間も、一人で横たわったまま苦しむしかすべがなかったのだ。その時の不安な気持ちがトラウマになっていたのかもしれない。

警備保障会社とラインをつなぐことは、まずは盗難防止の目的がメインではある。が、緊急時の連絡口としても、有効である。離れて暮らす子供達、病院との連携が可能になるのだ。夫と私、二人だけの生活。どちらか一人しか家に居ない時、何かが起きても困る。そういう時の、“ALSOKだのみ”だ。

さらに、夫も私も、家の中にいても携帯電話を離さぬよう習慣づけるようにした。われら熟年倦怠期夫婦なれば、お互いマイペース。家の内外で顔も合わさず過ごすことも多い。長時間、相手の気配すら感じず、ふと、「?」と心配になったときに、“ワンコール”するために。裏庭で農作業に熱中する夫を心配して私が発信した“安否確認コール”の回数は、数知れず。ちなみに、相手からは、未だゼロ。

そして、夫の病気をきっかけに、私の気持にも、ちょっとした変化があった。

認めたくないが、夫婦二人そろっての生活は、こうしている間にも、カウントダウンされているという事実。そのことを思うと、夫婦げんかを長引かせてもおられん気持になる。ケンケン、チクチクと悪態をついていたら、夫に長生きしてもらえんかも。

そんな“魂胆”で、私は、前よりは、夫に対してちょっと素直になった。

・・・・・一年後の来年の7月24日。やっぱり私は、夫の『入院記念日』に思いを馳せているだろう。「二年たちました。ずいぶん元気になりました」と言えるように、この一年を暮らしていきたいと思っている。

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2008年7月22日 (火)

“わん!ダフル”な、プレート

夏休みも始まったよう。夏本番が、幕を開けた。sunさあこれから一月半あまり、暑さとの闘いだ。

目下の私の気がかりは、ペロばあちゃまのこと。15才という高齢に加え、なにせ、厳暑の中、アウトドアの生活を続けねばならないからだ。

「ペロは、この夏を乗り切れるもんかしら」と、本気で心配する私に、「毛を短~く刈ってやれや涼しくてええんじゃないんか」などと冗談で受け流していた夫。だが、先週、ペロのために思いやりたっぷりのグッズを買ってきてくれた。

ホームセンターのペット用品売り場で見つけたという、その名も『愛情シリーズ・アルミひんやりプレート』。

Pe_003 アルミの放熱効果を利用した、アイデアグッズだ。

体の熱がアルミに伝わるので、座り続けていると効果がでるという。

小型犬用で、大きさは55㎝×40㎝。

さて、問題は、臆病で用心深いペロが、このプレートに座ってくれるかどうかだ。

とりあえず、東側の窓の下に置いて様子をみることにした。この場所は風通しが良く、日中、ペロが好んで寝ている所である。

案の定、ペロは拒絶反応を示した。好物のササミジャーキーで釣ったり、抱え込んで無理に座らせようとしたのだが。

アルミ製のため、プレートは表面がツルツル、テカテカしている。ペロが脚を乗せると、ふんばりが効かず滑ったり、爪が当たってパシャッパシャッと音がする。視力の弱いペロには、そんなことが不気味なのであろう。

Pe_005_3 そっと放っておけば、そのうち油断して、座ってくれるかもしれん。そんなこと思いつつ、そうっと、何度もペロの様子を窺ってみた。だが、・・・やっぱり、

只今“ブロックのベッド”で昼寝中。(ちなみに、“クロネコ”は、ペロの餌を狙うスズメを追い払うための、鳥除け用。)

このブロックの上は、ペロの夜間用の居場所。寝心地は良いのだろうが風通しが良くないので、昼間にはめったに寄りつかないのに。「この反抗犬め、プレートを避けているのか」。pout

ペロは、いっこうにプレートに興味を示そうとしない。

はたして、この『ひんやりプレート』、ほんとに効き目あるのかしら?・・・そんなことを疑い始めた今日のこと。

座っていました~。Pe_001 うれし~。プレートを置いて、三日目でありました。

その昔、我が子にトイレトレーニングをしたことを思い出した。上手にオマルに座ってくれた時の、あの感激に似ている。

ご褒美のつもりで。「牛乳をお飲み」。

ペロが、私達の攻略にひっかかったのか、居場所がないので仕方なく座ったのかは不明。ともかく、”快適”と感じてくれたから座ってるんだと、飼い主としては思いたい。

この『ひんやりプレート』の効果が本物で、ペロが、少しでも、今年の暑さをしのいでくれるなら、うれしい。そして、来年、元気に夏をむかえ、またこのプレートを使ってくれることになれば、ほんとうに“わんダフル”だ。

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2008年7月18日 (金)

“スーパーサンデー”の夜

仲良し五人の“ババ達”で食事会の夜。二次会はカフェで“お茶”ということになった。

私がオーダーしたのが、このスイーツ。“スーパーサンデーである。さすが、『スーパー』の名。生クリームとアイスクリームがギュウギュウの、すご~いボリュームであった。

時刻はすでに、夜の九時すぎ。しかも、たった今、和食コースを平らげたばかりだ。

「甘・おもすぎる~」「ちょっと無理じゃない?」の声を聞きつつ、・・・・私、どっこい、完食。

余裕で、『おいしかった~』と、思ってしまった私。もしかして、私の胃袋には、“別腹”どころか、甘味用の“格納庫”が装備されているのかもしれん。

そして、私につられて、同じく“スーパーサンデー”を注文した、M子ババH美ババ。彼女たちも、“りっぱな格納庫”を内蔵していることが、あらためて確認できたナリ。

ちなみに、私の“スーパーサンデー”に、飾られていた、白と赤のツートーンカラーの旗。(写真)さて、どこの国の国旗でしょうか?

正解は、ポーランド共和国。(世界地図帳で調べました!)

ちなみに、白と赤の上下が入れ替わると、インドネシア、(もしかして、モナコ公国も?)の国旗になる。

それにしても、テーブルに運んできたウエイター君。ババ達の「この国旗はどこの国?」のかしましい問いかけに、即座に、しかも、冷静に、「コ・ス・タ・リ・カです!」と答えたキミの名演技。ババ達は、すっかり信じてしまいましたがね。

・・・・しゃべって、飲んで、食べて、笑い転げ、女子高生に戻ったひととき。私の笑いジワと体脂肪が増えた夜でもありました。

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2008年7月17日 (木)

夫と“ペット”

夫が、10年来、飼い続けているペット(!?)。それは、メダカ。

メダカ達が一年中でもっとも活動的になる今の季節。夫の朝は、メダカに餌をやることから始まる。

曰く、「腹をすかして待っとるけん」。

メダカに表情があるとも思えんし、喜んで尾ひれを振るわけでもないだろうに・・・。が、夫の話、近づいていくと、自分を待っていたように、群がって寄って来るんだという。

ペロ(犬)の世話はほとんどしないのにdash、メダカに関しては熱心である。餌やりひとつとっても、決して人に委せることはしない。一回分の餌の大きさ(孵化して間がない稚魚には、指ですりつぶして与える)、また、餌をまく場所など、それなりに決めごとがあるんだそうな。

今日も、何度目か、メダカ達のところへ。

Riki_029_2 (写真)どうしてどうして、こう見ると、りっぱな『メダカおじさん』(?)ですナァ。

水槽は、庭の何カ所かに置いてある。

さあ、これから水槽の掃除と水替えをしようというところ。

Riki_028 もともと、古来より日本に生息するのは、黒メダカ一種であったという。

最近では、突然変異種を改良成育させた、白メダカ、緋メダカが多くなった。

夫は、“元気で育てやすい”といわれる白メダカを飼っている。・・・・・

突然、「おいおい!」と、夫の声。一大事?

Riki_027 メダカの水槽の中に、ヤゴがいたのを見つけた。

メダカの数が減っている。すでに、たくさんのメダカが餌食にされていたらしい。

水槽には金網を被せているのに、親トンボはどうやってくぐり抜け、水草に卵を産み付けたのだろう。

ボウフラのわいている水たまりが、庭のそこかしこにあるというのに。場所を選ばず、とんでもないところに入ってきたもんだ~。

Riki_026_2 メダカおじさんの怒りをかって(?)、

あわれ、ヤゴは、ホームレス状態。

メダカをたらふく食べたのだろう。見事に丸々と肥えたヤゴくんであることよ。

それにしても、夫は、どこがおもしろくて飼育を続けているんだろうと、私は考えることがある。

観賞用というには地味すぎるし、食用にはなりっこないメダカ。“か弱い”小魚である分、世話にも手がかかるようだ。水の管理、水槽の掃除、冬越し、など。また、産卵の時期ともなると、夫は最も忙しそうだ。水草に産み付けられた卵を、成魚が食べてしまわぬうちに別の水槽に移さねばならない。

ところが、最近、私は、マスコミ情報で、メダカの飼育が中高年の間で静かなブームになっていることを知った。中高年、とくに男性に多いという話だ。メダカには、おじさま達のこころを癒す何かがあるというのかしら。

・・・水槽の水を替え終えた夫は、メダカ達が泳ぐ水槽を、座りこんで黙って見続けている。そのあまりに穏やかで静かな後ろ姿。声をかけようとした私が、思わずためらうほどであった。

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2008年7月15日 (火)

がんセンター受診

今日は受診予約日。婦人科子宮検診を受けてきた。

子宮頚部異形成Ⅲaの経過をみるための6ヶ月ぶりの定期検診。

今回は、一般のガン検診と同じような検査であった。超音波の後、細胞採取。

失礼ながら診察台の上からドクターにお願いして、ついでに体ガンの検査もしてもらった。・・・・やっぱり、「イタッタッ!」思わず声が出るほど普段は、正体不明のような臓器の子宮であるが、この時ばかりは、思いっきり、存在をアピールしてくる。

検査結果は、二週間後に連絡される予定。

うれしいことに、ドクターからちょっと安心材料を聞いた。「前回のウイルス検査の結果ではガン原因とされるEBウイルスはありませんでした・・・・」今後も定期検診を続けることに変わりはないが、それでも少しほっとした。

病院から家へ帰って昼食を終えた頃、実家の母から電話があった。今日の検診のことを心配していたらしい。

「アタシが代わってあげれるもんならなァ。ほんとに、おんなは余分なもんがついとるけん、いつまでも苦労するなァ・・・」

「あれあれお母さん、子宮のことを“余分なもん”扱いにしては、いかんよ。人類が滅亡するがね~。」

いくつになっても娘を心配してくれる。親とはありがたいものだ。電話を切った後、そんなことを思っている私に、急に眠気がおそってきた。そういえば、病院の予約時間に合わせて、今朝はいつもより早起きしていたんだ。私のは、きちんと帳尻をあわせるようになってるんかしら。sleepysleepy

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2008年7月11日 (金)

ひょうたん

知人のOさんが、自作のひょうたん製の置物を持ってきてくださった。

Hyou_002 早速、玄関の靴箱の上に置いてみる。

左のひょろひょろとしたのが、一輪挿し。

右の小さいのは、本来は香入れ。蓋付きだ。

「こ、これがひょうたん?」と、思えるような、奇妙な形。生った実の形を、そのまま利用して、ユニークな加工品が出来上がった。ひょうたんにも、多くの品種があり、種によって、実の形もさまざまなのだという。

ひょうたんを育てるのは一苦労。種まきから始まり、伸びるつるに備えての棚作り、病虫害対策。そして、実を収穫した後、加工するまでにも、中の種子を除去したり、腐らしたり、あく抜きしたりの過程、・・・聞けば、気の長い、根気のいる作業だ。

半世紀近くひょうたん作りを趣味にしてきたOさん。個展を何度も開き、意欲満々に創作されていたのだが、86才の高齢になられた。最近はひょうたん栽培もやめられた由。

曰く、「わっしも、もう年やし。家族はひょうたんに興味持ってない。わっしが死んだら、ゴミに出されるのが関の山。今のうちに、みなさんにもらって頂こうと思いましてな・・・ワハハ。」意外にさっぱりと。

だが、Oさん、ひょうたんへの思い入れは、今もさすがに強いようだ。ひところブームにもなったこともある“ひょうたんブーム”が、最近はその影も薄くなったことを、しきりに残念がられる。

ひょうたんは、畑の連作ができず、栽培は数年おきにしかできない。そのうえ、つる用の棚を作るため、広い土地(畑)が必要である。最近の住宅事情、土地利用など、社会の変化がひょうたん栽培を難しいものにしたのだという。

・・・・最近では身近で観賞する機会もなくなってきたひょうたんの作品。こうして飾ってみると、古い家屋の我が家に、意外にマッチした。

なかなかおもしろいですなァ」の夫のひと声に、Oさんは気をよくされたのか、「また持ってきますよ!」と、うれしい表情をされた。

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2008年7月 9日 (水)

日帰りの旅

日帰りのバス旅行に参加した。

一月ほど前、“買い物キャンペーン・招待旅行”に応募したら、珍しいことに、当選!ということになったのだ。

『淡路島・明石海峡めぐり』。“小さな、小さな”旅です。

・・・・・淡路島を縦断するのは、初めてだった。

島の北の端、『松帆の郷』で入浴する。34度の源泉をあたためた温泉は、神経痛、ストレス解消に効く。ぬめりの少ない、キレの良い湯質であった。湯館が高台にあり、はるか向こうにぼんやりと、神戸が望まれる。

明石海峡大橋を見下ろしながら露天風呂に入る。絶景!昼間から、こんな贅沢して、ええんやろか。

Akasi_002

湯館の内庭から、明石海峡大橋を見る。

3911メートル。

霧モヤの中に、世界最長の吊り橋の美しいラインが続く。

ただ渡る目的で車で橋の上を走ったら、橋そのものの美しさを見ることはできないだろう。

フェリーに乗り、海上から明石海峡大橋をパノラマで眺めながら、橋に向かって。Akasi_008

かつては、神戸~淡路の足として全面的に活躍したフェリー。今も、「たこフェリー」として、人々に親しまれている。

明石海峡を船で渡るという経験は、私にとっては、最初で最後のことになるだろう。

Akasi_003 橋の上を走る車が、見えてきた。

のろのろ進んでるように見える。

 Akasi_004_2            

さあ、いよいよ、橋の真下にきた。

遠景からは想像できない、複雑に組み合わされた鉄骨。

「人の英知と文明のなせる技なり」と、あらためて実感。

30分ほどの乗船で、神戸に到着~。

西宮の流通センター街にある、宝石の工房に立ち寄ったあと、さあ帰途へ。

中国道から瀬戸大橋をわたって、四国愛媛への帰路。バスの振動が、私を、ただただ眠りに誘う。

・・・・・『旅は道連れ・・』とはいうものの、一人の旅もなかなか良いものだ。新たな出会いも与えてくれた。バスの隣席になったYさんは、気さくで明るく、話し上手。私が今日の旅を楽しく終えられたのは、彼女のおかげもあったと思う。

久しぶりに家事を忘れた一日。夜更けて家に帰ったら、夫の顔が、やけに新鮮に見えましたがな。

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2008年7月 5日 (土)

“コロッケ”

数日来の風邪症状も治まり、元気復活しつつある、今日の私。

知人から頂いていたじゃがいもが、あやうく芽を出しそう。ありあわせの材料を使ってコロッケを作ることにした。

さて、以下、いつもながらの、“超アバウト”なレシピです。

今日のタネは、牛肉、玉ネギ、人参、ピーマン、もどしたしいたけ、冷凍コーン。(肉は冷凍保存していた薄切り肉を、細かくカット。野菜類は、みじん切り。)

フライパンで、タネの材料を炒める。味付けは、しょうゆ、さとう、塩、こしょうで、肉じゃが味にしてみましょう。

茹でたじゃがいもをつぶし、タネとまぜる。塩、こしょうで味を調える。

Riki_030 人肌温度になったら、小判形にまとめて、

冷蔵庫に入れて、しばらくねさす。(くずれにくくなる)

小麦粉、溶き卵、パン粉の順に衣をつける。あとは揚げるだけ。

 ここで、 我が家の分は、パン粉状態で置いておいて、

Riki_031_2 6個だけを、取り急ぎ、揚げて調理する。

揚げたてホクホク。

『さて、急いで、実家の両親に届けましょう。』

・・・・・「あれ~、ありがとう。元気になったんかね」。母は、コロッケよりも、私の顔を見ながら、安心したように言った。

実家に出かけたのは数日ぶりになる。私の風邪は寝込むほどではなかったが、咽が痛んで鼻水が湧き出ていた(!?)。体もだるかったし、高齢の両親に感染してもいけないと思って行くのを控えていたのだ。

一昨日のこと、私の体調を心配した母から、電話があった。

「無理せられんよ。わたしらのことは心配せんでええけん。」「あんたは、今までの疲れがたまっとるんよゆっくり養生してよ。」・・・・母は、受話器の向こうで、同じ様な言葉をくりかえした。

還暦近い私だが、年齢に関係なく、母にとっては、“娘は娘”。・・・『たかが風邪をひいただけなのに』、と私は苦笑しつつも、素直な気持ちで、聞いた。

母は、両親の手伝いができないことを気にしている私の気持を知ったうえで、それらの言葉を言っているのだ。私に対する思いやりのメッセージであることは、容易に分かった。

“母ごころ”とは、不思議な力をもっている。傷口をピタッと癒してくれる。私は、こころの中でモヤモヤしていた塊りがほぐされ、気持が軽くなっていくのを感じた。

・・・・さてと、

お父さん、お母さん、温かいうちに食べてね。こころばかりコロッケですが。

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2008年7月 1日 (火)

ビフォー、アフター

本格的な夏をむかえる頃になり、夫が、思い立って、一仕事頑張ってくれることになった。

窓用換気扇を取り付けること。これは、私にとっては何年来の願いだったのだが、その取り付ける場所に問題があり、今まで実現していなかった。

窓が、階段の吹き抜けに、というか、二階の洗濯干場に上がる階段横に、あった。 Riki_025

写真・・・階段を上りきったところから、下を見る。広角レンズなので、実際より急勾配で長い階段にみえるが・・。

右方にチラッとみえている窓。

足場がない!我が家の“天空の窓”(?)なのです

Riki_015 はたっ。・・・・夫の考えた方法は、

脚立を倒して階段に据え、釘と紐で固定。その上に、板を横に倒してドッキングさせた。命板だから、しっかり安全に~。

その板を足場にして、さあ、取り付け工事を開始。

めまい、ふらつき症状など、前庭神経炎の後遺症の残っている夫である。しかも、還暦を何年も過ぎた年齢。ひょいと足を踏み外して落ちやしないかしら・・・。私は、ドキドキ。ただ、下から見上げているしかなかった。

Riki_024 かれこれ2時間。

ビフォーRiki_021 (写真・左)

アフター(写真・右)

実のところ、この階段の空間は、西日をまともに受ける。とくに夏ともなると、かなり温度が上昇。sun窓を開いたりするのだが、不用心なので、開けっ放しにしておけない。毎夏の夕方、私は洗濯物をおろしに、この階段を上がって行くのだが、その度に、ムーッとした不快な熱気を浴びざるを得なかった。bearing

夫は、仕上げに、スイッチにタイマー機能をつけ、窓の外側に雨風よけのタキロンを張った。これで工事完了。

・・・体を張って頑張ってくれたyu-yu-papaさん、御苦労様でした。しばらくは、感謝の気持ちを忘れまセン。

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