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2008年4月28日 (月)

たった一人の蔵元

夫が久しぶりに、近隣の市に住む、I朗さんを訪ねて行った。

I朗さんは夫の遠縁という間柄だが、年齢が同じということもあり、若い頃から交流がある。

I朗さんの家は、安政の時代から続く、代々の醸造屋。酒造りをしている。Himi_gyouza_004 彼で、4代目だという。(写真、家屋も昔の趣を残して)

先代までは、杜氏さんもいて、大々的に沢山の石数を醸造していたときく。時代の流れで、だんだんと杜氏さん集めも難しくなったようで、いつからかI朗さんが一人で酒造りをするようになった。

彼は大学の醸造科で、酒造りを専門に学んだ杜氏でもある。

『たった一人で酒造り』・・何年か前、地元のテレビのワイドショーで、彼のユニークな酒造りが紹介された。たしかに、I朗さん曰く、「商業ペースの蔵としては、全国一小さい規模です」かもしれない。

彼は、便利なオートメーション機械など使わぬ、昔ながらの道具と手法で酒造りをしている。その工程から考えて、素人の私にも、その困難さは何となく分かる。酒造りは、力仕事も多いうえ、原料の麹は生き物だ。手順も微妙だし、天気や気温にも左右される。工程のタイミングを狂わせてはいけない。一人でこなすとなると、それこそ、昼夜を問わぬ作業になることもあるだろう。

そこで、I朗さんは、長年かけて、いろんな工夫を考えた。テレビでも紹介されたが、酒蔵の中には、彼が考案した仕掛け、手作りの道具が数多くある。

Himi_gyouza_003 夫は、今日、実際にその道具などを目にしたのだと思うが、撮った写真ではよく分からない。暗すぎたか・・。

酒蔵の中は、目下、新酒造りの作業の大詰め。7月には出来上がる。

今年は、例年より少なく、2樽しか造っていないらしい。

Himi_gyouza_002_2  醸造石数も少ないうえ、品評会で入賞するほど味も折り紙つき。そのため、新酒には毎年、予約が殺到している。親戚といえど、前もって予約しておかないと、手に入らない。

彼の造る酒の味が良いといわれる理由を、お酒に詳しくない私だが、ちょっと考えてみた。

まず、I朗さんの、杜氏としてのポリシーにあると思う。彼は『自分は“酒造り”をしているのではなく、酒が間違った方向に進みそうな時に、導いて、酒の“手伝い”をしてやるだけ』と言う。・・・その、“自然のまま”を大切にするという製法が、コクがあると言われる味を生むのだろうか。

Himi_gyouza_001_2 さらには、原料へのこだわりか。山田錦と、松山三井という酒米を選んで使っているという。それぞれの酒米には、独特の香りと味があるのだと言っていた。配合などいろいろ難しいのだろう。あとは企業秘密ということにして。

そして、そして、忘れてならないのは、仕込み水。地元は“水の町”といわれる名水の里。その地のゆたかな湧き水を使っている。

I朗さん宅のすぐ隣に、名水50選のひとつに選ばれた湧き水がある。弘法大師ゆかりの、時代を超えて湧き出る泉である。おいしい水こそ、おいしい酒を造るための、隠れた主役であろう。

さて、今回、夫がI朗さんを訪ねたのは、お使い物にするお酒を受け取るためだ。今までも何度か、お酒好きの方に差し上げたことがあって、そのたびに「おいしい」との評判を得ていた。舌の肥えた愛飲家からも絶賛されたことは、嬉しかった。

I朗さんの残り少ない在庫から、夫は2種、2本づつわけてもらった。そして、新酒の予約も忘れずにして帰ったという。

そして、我が家には、お土産に、酒粕をもらった。I朗さんは「この酒粕は、吟醸のやけん、旨いんぞい。」と言ったという。

アルコールはまったくだめな夫、「甘酒にして飲んでみるか?」・・・若い頃は奈良漬けを食べただけで顔を紅くしたほどなのに、大丈夫かしら。甘酒といえど、アルコール度はかなり強いよ~。

まずは、“体ならし”から。・・・・とりあえず、みそ汁に、酒粕を少しづつ混ぜていただくことから始めましょう。

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2008年4月23日 (水)

ギョウザ・・風

今日、実家で、夕食メニューの一品に作ったギョウザ

食事制限で、市販のギョウザを食べることができない両親のために、私が作った“特製”である。

正確にいうと、父は、服用している薬の効果を損なうという理由で、緑黄色野菜を多く摂るることを禁じられている。ニラがたっぷりの市販のギョウザを口にできない。

また、母は、目下、一日1200カロリーの食事制限中。毎日三食、“食品単位表”と首っ引きで、計算している。市販のギョウザは油脂も多く、塩分も多いので、たくさん食べられないという。

そこで今夜登場した、残り物利用の、“愛と節約”(!)の低カロリーギョウザ。

具の中味は、ブタ肉赤身のミンチ、玉ネギ、ゆでキャベツ、たけのこ、しいたけ、ネギ(白い部分)、しょうが、そして、ニラを二本だけ。やはり、ギョウザ独特の香りづけには欠くことができない。このくらいの量なら、父も大丈夫だろう。

油分は極力少なめに。味付けはうすく。焼き上がりをさっぱりと、ポン酢でいただく。Himi_gyouza_006_2

蒸しギョウザ風になってしまったが、久々の味に、両親は気に入ってくれたようだ。・・・・・・もっとも、「安心してたくさん食べられるよ」と、先に売り込んだ私の言葉が効いたのかもしれないが。Himi_gyouza_005 (写真撮り忘れ。辛うじて2個だけ)

残った具は、冷凍保存。生椎茸に詰めて焼いても、またおいしい。

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2008年4月22日 (火)

電話加入権

長い期間、『電話』を二本、利用休止にしたままでいたのが、気になっていた。

それぞれ、子供達が県外で独り住まいを始めた時に、夫名義で加入したものだ。大学卒業後、息子、娘とも別の場所に転居したのだが、時は折しも、携帯電話の普及し始めた時代と重なった。ふたりとも、固定電話は面倒だ、必要ないと、設置を拒否。

その結果、電話回線二本、ご用無しで宙に浮いてしまっていたのだ。もったいない話だ。

・・・・長いブランクになったが、今朝、しまい込んでいたNTTの『利用休止届け票』を捜して、116に電話してみた。

一枚はH12年3月、もう一枚は13年3月の発行。有効期限は5年なので権利を失っているかと心配。

電話機の向こうで、オペレーターさんが、自動継続の形でさらに5年の猶予が出来ています、と言った。ホッ。ひと安心。

でも、この5年の猶予期間に、継続、再取り付けなどの連絡をしなければ、契約解除とみなされるという。・・・そんなことになってはもったいな~い。ぼけて忘れんようにせねば。

・・・この電話加入権、その昔は取得するのに安い料金ではなかったはずだが。今は、携帯、IP・・・と便利で安い通信手段がふえ、固定電話の需要も減ってきた。はて、このまま持っておいても、我が家で必要なものなのかしらとは思う。

「子供達が要らないと言った時に、さっさと売っておいたら良かったかなぁ」と、二枚の『利用休止届け票』を見ながら、ついついぼやいてしまった。

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2008年4月19日 (土)

果報者

実家にて・・・。

台所で夕食の準備をしていると、母の声が聞こえた。「あ~あ。カッちゃんのご主人も亡くなってしもた・・・」私に話しかけているのか?独り言のようにもきこえるが。

食卓の椅子に腰掛け、背を向けたまま、母のつぶやきは続いた。「・・・・仲良しで、夫婦揃とんのは、ようちゃんとこと、うちだけになってしもた。・・・」

ちなみに、カッちゃん、ようちゃんとも、母の女学校時代からの友人である。最近、カッちゃんこと、克子さんの旦那様が亡くなったという知らせが届いたのだという。

女性の平均寿命が高くなった今の時代ではあるが、母の年齢にもなると、同世代の友人はさすがに鬼籍に入ることは珍しくなくなった。はた、母の仲良しの友人には、かくしゃくとしたおばあちゃん達もまだまだいるのだが、残念ながら、彼女たちのほとんどが、夫に先立たれている。とにかくも、夫婦揃って80才以上という高齢夫婦が、少ない。

・・・・母の言葉は、どことなく寂しげだった。が、老いた夫と寄り添って、今なお現役の夫婦を続けられている自分を、母はあらためて有難いことだと実感したのであろうか。心なし感慨深げにも聞こえた。

今年85歳と83歳の父と母。ダイヤモンド婚も過ぎた、既にいぶしの輝き(?)さえ放っている夫婦だ。

私の前ではしょっちゅうケンカして、「しょうがない。クサレ縁じゃから」などと、お互い言い合ったりしているが、60年の、夫婦の歴史には、山あり谷あり、野原あり(!)。いやなかなか、「」の字のごとく、支え合っているよと、娘としては思う。

その証拠に、先だっての母の入院の時、病床の母は、留守宅で独り生活になった父のことを、自分のことそっちのけであれこれ心配したものだった。また、父は父で、母の病状を気遣い、すっかり意気消沈。へこんでしまった。そのせいで、ひと月あまりの間に、2キロもストレス太りしてしまったほどだ(!)。

・・・現在、母は退院後、少しづつではあるが、体力を取り戻しつつある。うれしいことだ。

父とのケンカも、レクレーション代わりに、そろそろ復活しそうなようすである。これまた、うれしい。

「♪おまえ100まで~、わしゃ100まで~♪・・・」(世間で歌われてるより、欲張ってますが・・)の、父の鼻歌が聞こえてきそう。

・・・そして私は・・・と、ふと自分のことを思った。

還暦をむかえるような年齢になっても、私はこうして、まだ、父と母と共に過ごしていられる。そして、昔の思い出を語り合っては懐かし合い、私の喜びや悲しみを、今なお自分のことのように受け止めてもらっている。まだ「娘」の立場でいられることの幸せ。何にも代え難い、その幸せを、いつまでもいつまでも持ち続けられたら・・・。

私はコンロの鍋から目を上げ、カウンター越しに母を見やった。何か相づちをうとうとしたのだが、急に熱い物が胸にこみあげ、言葉がでなかった。

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2008年4月15日 (火)

膝の痛みの割合(?)

以前は一週間に一度の頻度で整形外科に通い、ヒアルロン酸注射を右膝に打ってもらっていた。おかげで、痛みもだいぶ軽減してきたので、3月からは2週間毎になっている。

今日は受診日であった。

先生に、診察の度に、決まった質問で、症状を聞かれるのだが、私は返答に、毎回まごついてしまう。

「最初の痛みが10とすると、今はどのぐらいの割合の痛さですか?」・・・先生はいつもそう尋ねられる。

先生は、ヒアルロン酸注射の効果を知りたくて、そう聞かれるのだろう。でも、実際、“割合”で言うとなると、なかなか答えにくいものである。

“だいぶ楽になりました。”とか、“強い痛みはありませんが、じくじくと痛みます。”とか、症状で答えたいところだ。

確かに、当初の痛みは軽減され、楽になってきた。が、痛みからまったく解放されているわけではない。仮に、「5割になりました。」とか、「4割くらいです・・」と答えても、当の本人すらその差がとれほどかの確信もないのに、と・・・・微妙なところ。

・・さて、今日も先生にその言葉で尋ねられるだろう。なんと答えようか。順番を待ちながら考えた。

さて、診察室へ。

暖かくなったせいか、この最近、膝の調子もだいぶ良くなってきている。・・・「おかげさまで、1です(?)・・・・曲げたら痛みますけど・・・」と、膝をピョコピョコ、ジェスチャーをして見せた。

とは言ったものの、やっぱり今回もあいまい・・・だけど、そんなもんです。先生、分かって下さったかしら?・・。

・・・私の膝、軟骨が擦れ半月板も傷んでるので、これから先、痛みが失せることはないだろう。・・・今日は1、又ある時は5になったり、8になったりするかも。痛みの尺度計をいったりきたりスライドするだろうが、仲良く、長~くおつきあいしていくしかないな。

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2008年4月13日 (日)

近況・・・

久々の更新だ。前回の記事から、とうとう二ヶ月(!)たってしまった。

身辺にいろいろあり、忙しい日々を過ごしていた。そして、それは形を変えて、今も続いている。

ブログのタネがないのも困りものだったものだが、逆に、たくさんありすぎても、書けないものだと、改めて分かった。

気が滅入ったり、逆に、張りきりすぎたり、気持も安定しなかった。また、物理的にも忙しくなり、パソコンの前にゆっくりすわる時間がなくなってしまった。また、たまにパソコンを陣取っても、疲れのため、すぐコックリさんがやってきて、文を書くなどとうてい無理であった。

さて、目下の私は、毎日24時間を“フル”に使っている。ひとり何役になるかしら・・・。

まず、これが本業なのだが、家庭の主婦として、あいも変わらなくの家事。そして、としてもまだまだ現役だ。毎日、あるいは、隔日には実家へ通っている。母の病気以来、手伝いがいっそう忙しくなった。また、目下、娘が休養に帰っていて、そこそこ世話がかかるし、近々息子家族も帰省してくる予定。母親業も、なかなか卒業できそうもない。そしてそして、自分自身を演じることだって忘れていない。折りもおり、母の入院の直前、夫と共通の趣味を始めたのだが、思いの外、ふたりともどっぷりつかってしまっていた。忙しくなったからといって、自分の楽しみだって捨てたくなかった。時間を見つけて、細々と続けている。結果、私達、倦怠期の夫婦だが、さすがに一緒に行動することが多くなった。その意味では、としての自覚も、以前より増してきたかもしれない・・。

・・・・あれやこれや、そんなこんなで、母の突然の入院がきっかけではあったが、しんどくて、ブログに向き合えなかった。それが、さぼってしまった私の、勝手ないいわけなのです。

もしかして、「『日々“悠・憂“』」のyu-yu-mamaさんはどうしたの?」と、心配してくださってる方がいらっしゃったら、ゴメンナサイ。

“店じまい”はしません。看板が錆びて朽ちないようには、したいと思っています・・。

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